ミュージカルの歩みその3

20世紀初めには、オーストリアのウィーンにハンガリー出身の作曲家が現れました。
フランツ・レハール氏と、エメリッヒ・カールマン氏、このふたりです。
彼らは喜歌劇(オペレッタ)の分野において、次々とヒットを出します。
明るく楽しい作品であり、ダンスがすばらしいと評判になりました。
この時代のミュージカルには、高度な声楽技術、そして、大規模な演奏も必要でした。

レハールの「メリー・ウイドー」などは、当時、普及し始めたラジオでオンエアされ、世界中に知れ渡ったのです。
こうしてミュージカルとしての形が出来始めたのは、外貨両替 秋葉原ウィーンが初めてだそうです。
20世紀に入りますと、アメリカは先進工業国になりました。
なかでも、第一大戦中の特需は、米国を好景気にしていました。
そんな時代にニューヨークでは、ガーシュイン兄弟が現れました。
ボードビル・ショーの歌曲を作り、シアター・ミュージカルも手がけ、彼らはアメリカミュージカルの父と言われています。
その後、コール・ポーターなどが参加、ナチスの台頭によって、後退し始めたウインナ・ミュージカルに替わって、ニューヨークのブロードウェイが、いよいよミュージカルのメイン舞台となったわけです。
こうして、ブロードウェイはミュージカルのメッカとして、世界中の人々に知られるようになりました。

さて、1920年代のアメリカでは、ニューヨーク在住者以外にとって、シアター・ミュージカルは縁がなかったのです。

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